『キャプテン』&『プレイボール』その2~部員数21名を考える~

物語スタート時は10名ちょっと、3年が抜けると毎年のように9名を割ってしまうというさびしさだった墨高も、谷口2年時には部員の数も増えて(ある日突然学年を下げられてしまったり、登場したものの雲隠れしてしまった人たちもいましたが)3年が抜けても9名を割ることなく秋季大会を戦えて、春には期待の1年生が11人。

秋は編入の丸井を入れて10人、勉強会などで行方不明になった者もいなかったので春の時点での部員数は21人。連載当時は現実の高校野球にベンチ入り人数の制限があるのを知らなかったので「イガラシと井口がレギュラーになって、半田はレギュラー外れるんだろうな」ぐらいしか思っていなかったのですが、改めて考えてみると、ちょっと気になるこの人数。

 

 今現在の春夏の甲子園のベンチ入り可能人数は18人。都道府県大会の多くは20人で、東京も20人。もしかして1人だけ外れちゃうの??と一瞬半田の顔を思い浮かべてしまった私でしたが…

落ち着いて考えてみれば、これはあくまで今現在の人数制限。連載当時(1970年代)のベンチ入り可能人数はもっと厳しく、東・西東京大会のベンチ人数は77年は14人、連載終了する78年には1人多い15人になっていました(※朝日新聞縮刷版の各校紹介で確認)。連載当時の高校野球では20人というのは何の意味も持たない数字。もちろん20+1にも誰かが外れるとか、特段の意図があったわけではないはず。

では現実の規定どおりだとどうなるか。6~7名と、かなりの人数が外れることになります。しかしその割には、上級生たちにはレギュラー落ちの不安は口にするけど、ベンチ外という言葉は出てこない。

 

ここで思い出されるのは、『キャプテン』で、墨谷二中が青葉学院と初めて対戦した地区予選決勝、青葉が「出場できるのは14人まで」というルール(※このルールは中学も高校も同じだ、と作中で言及されている)を破って15人目を強行起用する、という超重要エピソードです。

予選決勝で青葉は全員2軍→全員1軍に交代してましたから、少なくとも18人はベンチにいたはず(しかもなぜか佐野の背番号11以下、1軍が皆2ケタ番号をつけている芸の細かさ。何の意味があったんだw)

イガラシキャプテン時代の江田川戦でも、代打攻勢をかける江田川ベンチで、キャプテンの井口が「5人までしか代えられないんだ」と、ここぞというときのために交代をセーブする場面がある(5人交代可なのでここでも14人までということになる)。

つまり、『キャプテン』世界では、出場可能上限は当時の高校野球の甲子園や東京大会と同じ14人だけれど、ベンチ入り可能人数は現実の14人より多く設定されていた。

そして、『プレイボール』でも専修館が、交代要員はまだいるのに、交代枠を残しておくために脳震盪をおこした選手を下げられない、という場面があるので、基本的な設定は同じと推測できます。つまり、14人の出場可能人数より多くベンチ入りメンバー登録できる。

しかもベンチ入り可能人数は作中では触れられていない。17人かもしれないし、20人かもしれない。無制限ということもあり得る。

 

この設定は、当初はルールを無視して巨大戦力にモノを言わせる青葉学院の悪辣さを強調し、青葉一軍の強さを際立たせるために導入されたのだと思いますが、その後も敵側の層の厚さ、戦力的な余力を感じさせる交代劇の中で使われてきました。

一方、基本的に選手層が薄く(イガラシ墨二でさえ、超少数精鋭で層としては薄い)、レギュラー固定で控えメンバーの出場が少ない墨谷ではこの設定は使われませんでしたが…最後に来て図らずも「全員ベンチ入りできる」という方向に活きた、ということになるのかもしれません。

 

なんだか、自分で思いついて自分で心配して解決した…みたいな記事になってしまいましたが、自分なりに整理がついて良かった。

現実には避けられない問題だけど、やっぱ半田や鈴木にメンバー落ちしてほしくない。1年の誰が入れて誰が落ちたとかいう軋轢とかも…谷口墨高にはそういうのは似合わない。

この夏は都立初の甲子園出場(1980年の都立国立に先がけて)するのだし、来年以降はそうは行かなくなるのはわかっているだけに、なおさら。