『キャプテン』&『プレイボール』その3~イガラシはなんで「イガラシ」なのか。『半ちゃん』から考える~

以前からファンの間で割とよく出てくる話題として、イガラシがなぜカタカナの「イガラシ」表記なのか?という疑問があります。

「イガラシ」の漢字表記は普通に考えれば「五十嵐」(PCの漢字変換候補を見ると「五十風」というのもあるようですが)だから、どういう漢字をのだろう?と悩む必要はほとんどない。それなら何故素直に「五十嵐」としなかったのでしょうか。

 

ときどき見かける説は「漢字で書くと、読者層である小学生たちには読めないから」というのがあるが、私にはそうとも言い切れないように思える。

確かに、小学校低学年~中学年くらいで「五十嵐」を素で出されて読める子は(五十嵐姓の知り合いでもいない限り)少ないかもしれない。しかしよくよく考えてみると、少年漫画雑誌もコミックスも、漢字(特に固有名詞)にはちゃんとルビが振られている。読めないということはあり得ない。小学生といえども、学校に行けば生徒や先生など、何十人もの知り合いができる。それら皆が田中だの山田だのといった平易な名前なわけもなく、中には読めない・書けない名前の人も何人かはいる。「五十嵐」に「いがらし」なり「イガラシ」なり、ルビが振られていれば、小学生読者もそういうちょっと難しい名前なのだと受け止め、すぐに五十嵐の読み方を覚えただろう。そもそも、舞台である墨谷二中にしたところで、決して簡単な字ではないのだ。

 

では、漢字の難しさが主たる理由でないとすると、他にどんな理由が考えられるだろうか。その前提として、もう一人の「イガラシ」について考えてみたい。

実は、イガラシという人物が初めて登場するのは『キャプテン』連載開始の半年ほど前の読み切り『半ちゃん』(注)である。『半ちゃん』のイガラシは容姿も能力も性格も『キャプテン』初登場時のイガラシに酷似しているが、年齢的に中1イガラシより幼い(小学校中学年くらいと思われる)だけあって、思いやりとかは皆無だし、実力や意識の高さが突出しているが故の孤独とその自覚がある(井口と組む前のイガラシってこうだったかも、という感じもする)。ある意味『キャプテン』登場時のイガラシより尖った人物なのだが、この尖がり具合とイガラシというカタカナのシンプルな角張りが、実にピッタリ嵌るのだ。さらに「イガグリ」のイガの棘っぽさともイメージが重なる(ちなみに、『半ちゃん』イガラシは『キャプテン』イガラシの黒ベタ頭ではなく、谷口のようなイガグリ頭である)。

これが漢字の五十嵐では尖った印象が視覚的に与えづらいし、実家のラーメン屋の屋号の「いがらし亭」のような平仮名になってしまえば猶更、柔らかすぎてダメだ(飲食店としてはその方がいいのだろうが)。

名で体を表そうとしたとき、最もよく表せるのが、カタカナ表記のイガラシだったからこそ、「イガラシ」が選択されたのではないだろうか。

 

もうひとつ『半ちゃん』で面白いのは、イガラシが名乗る場面だ。見知らぬ少年として登場した彼は、野球の実力を見込まれてチームに誘われ、一時は渋りながらも皆の熱意に押されて結局加入を承諾する。このときイガラシは、「こないだこの町内に引っ越してきたばかり」と言い、「おれ、イガラシっていうんだ」と名乗る。

彼らはどう見ても小学生なので、引っ越してきたとしたら通常は転入生として紹介されるはずだが、どうやら夏休み期間中らしく、学校は一切出てこない。学校で紹介されるなら黒板に先生が「五十嵐」と書いて、「いがらし」とルビを振ったりして紹介するのだろうけれど、学校を介さずで出会った彼らは、文字ではなく音だけで相手の名を知った。音しかわからない言葉は通常カタカナ表記される(例えば電話メモなどで「くらはしさんからTELあり」より「クラハシさんからTELあり」と書くのが普通)から、「イガラシ」になるのももっともである。

『キャプテン』では舞台設定が変わり、また1970年代初頭から終盤へと時代そのものが変化していく中で、野っ原の野球小僧的な要素は希薄になっていったけれども、一番のはじまりは、学校でなく部活でなく、土管と鉄条網の空地で、どこの誰ともよくわからない奴もウェルカムな草野球の世界に生を受けたからこそ、彼は「イガラシ」たり得たのだと言えるのかもしれない。

 

 

(注)『半ちゃん』

野球は下手だが好きでたまらない半ちゃんが、少年野球チームを結成する(物語は、半ちゃんが街でチームメンバー募集の張り紙をして回るところから始まる)。しかし集まった仲間は皆あまりうまくなく、中でも半ちゃんはドヘタ。せっかく作ったチームなのに、弱すぎて隣町のチームに大差で負けてしまう。何とか勝ちたいと頑張るが上手くいかない皆の前に、見知らぬ少年イガラシが現れる。彼の上手さを見込んだ皆はチームに入って強くしてくれと頼みこむ。イガラシは中途半端を許せない自分のやり方が、これまで楽しくやってきたチームに亀裂をもたらすことを予測していて最初は加入を固辞するが、強くなりたいと熱心に頼む皆にほだされて加入。そしてすぐに隣町チームと試合を組み、イガラシ一人の活躍で勝利する。しかしチームを本当に強くしようとするイガラシの連日の特訓(例の調子だと考えてもらえばよろしいw)でチームは疲弊し、下手な者、特訓にしりごみする者を切り捨てるイガラシの非情さは反感を生む。やがて強くなりたい派と以前のように楽しみたい派で対立がおこり、対立を引き起こしたイガラシが離脱。残ったメンバーもバラバラになってチームは解散してしまう。

皆が野球を辞めてぶらぶらしている中、半ちゃんだけは練習を続け、もう一度野球チームを結成するため、冒頭と同じようにメンバー募集の張り紙をして回り、集合場所の空地で練習しながら皆が来るのを待つ…というところで物語は終わる。

イガラシについては本文で触れたが、主役である半ちゃんは、プレイボールの半田よりも愚直で、チームを結成しようと動く行動力はあるのにレギュラーから外されても文句も言わず、ただ野球が好きで、野球をやりたいという気持ちだけで動いている。あきらめの悪さには谷口的な要素も少し感じられる。

単体として見ても、何とも言えない味わいがあるが、『キャプテン』&『プレイボール』好きならぜひ読んでいただきたい作品。(別冊少年ジャンプ昭和46年9月号掲載。ジャンプコミックスデラックス『ちばあきお傑作集 校舎うらのイレブン』所収)