それは「奇跡」だったのか?~墨谷高校・甲子園への軌跡を振り返る~ ◆◆◆明日野新聞 高校野球総力特集 東京都代表・墨谷高校◆◆◆

197X年7月XX日。東京大会初の決勝再試合は、4-0で墨谷高校が快勝し、都立高校として史上初の夏の東京大会優勝、甲子園出場を決めた。まずはこの快挙を祝福し、併せて谷口主将以下墨谷野球部諸君の努力を讃えたい。選手諸君、そしてご家族・学校関係者やOBの皆様など、彼らを支え励まし続けた全ての方々、おめでとうございます。

さて、墨谷高校の優勝に関しては、2年前までまったくの無名校であり、シード校として大会に臨んだのも今夏が初、準決勝で死闘を演じた谷原には春の練習試合で大敗している、などのことから、巷では「奇跡の」という枕詞付きで喧伝されることが多いようだ。

しかし、この認識は正しいだろうか。

明日野あしたの新聞は、墨谷高校の辿ってきた道のりを仔細に振り返り、墨谷がなぜ、並み居る強敵を倒し、甲子園の夢を掴むことができたのかを検証した。

それは、単なる幸運か、あるいは神がかり的な何かがもたらした奇跡か。あるいは必然とも言える結果であったのか。読者の皆様と共に見ていきたい。

 

 

1 東京大会の軌跡

夏の東京大会の勝ち上がりは以下の通り。シード権を得たことで試合数は減ったものの、組合せ自体は非常に厳しいものであった。

 

【3回戦 墨谷19-0城東(5回コールド)】

<バッテリー> 

墨谷:井口(3)、松川(1)、谷口(1)―倉橋、根岸

城東:松下(1 1/3)、大橋(2 2/3)―内山

初戦の対戦相手は城東。シードの常連聖稜の猛攻を粘りで凌ぎ、9回逆転サヨナラで降してきた。とはいえ墨谷との実力差は大きく、墨谷は初回の攻撃で正捕手倉橋が負傷退場、1年生の控え捕手根岸が急遽マスクを被るというアクシデントもものともせず、攻守にわたり城東に付け入るスキを与えなかった。公式戦初登板となる1年生左腕・井口が立ち上がりから快速球を見せ3回を0封、2年松川、主将のエース谷口へと繋ぐ無失点リレー。打っては毎回得点の猛攻、4イニングで19得点をあげ、5回完封コールドで初戦を飾った。

松下は谷口と墨谷二中時代、青葉学院を倒して日本一となったときのチームメイトであり、一昨年の2回戦で城東が墨谷と対戦し敗れた試合では先発を務めた。「2年間で力の差を埋めることはできませんでした。それでも、力で劣る僕らが、どうしたら食い下がり最後にひっくり返せるか。教えてくれたあいつに、恩返ししてやろうと精いっぱい工夫したんですが、それでどうこうできるレベルをはるかに超えてて、何というか、スッキリしました」清々しい表情で語る松下の言葉通り、力の差に驕らず、相手の揺さぶりに動じることもない、シード校の名に恥じぬ見事な戦いぶりであった。

【4回戦 墨谷3-1川北】

<バッテリー> 

墨谷:松川(5)、谷口(3 2/3)、イガラシ(0 1/3)―倉橋

川北:高野(6 2/3)、石川(1 1/3)―秋葉

名門・川北高校と墨谷は一昨年の秋に練習試合を行っている。部員不足で秋季大会を断念し、中途入部を募ってようやく9人揃えたばかりの墨谷にとっては格の違い過ぎる相手だったが、その中途入部者のひとり倉橋が、当時の川北のエース田淵さんと先輩後輩の間柄だった縁で、申込みを快諾してくれたのだという。スコアは9-2で川北の完勝といえる結果だったが、「いやあ、あのときはヒドい目に遭いましてね。単に粘り強いというだけじゃない、勝つためのくふうというか、勝負のアヤをつかむのが上手いというか」と今夏は臨時コーチとしてベンチ入りしている田淵さんは苦笑する。「しかしまさかこんなに早く、地力そのものを高めてくるとは、正直言って予想していませんでした…」

 

墨谷の先発・2年生の松川は、持ち味の球威を活かした強気な組み立てで、5回を投げて強打の川北打線をソロホームランによる1失点に抑える好投を見せた。

一方の打線は、川北のアンダースロー高野の速球に苦しみながらも高めを捨てる作戦で高野の奥の手ドロップを序盤から引き出し、川北バッテリーを徐々に追い詰めていく。そして中盤5回にはついに高野をとらえ、2-1と逆転に成功する。

6回からはエース谷口が登板。正確なコントロールと多彩な変化球、そして打者の弱点をつく巧みな配球で川北打線を翻弄すると、川北はすぐさまデータのない代打攻勢に切り替え対抗し一打逆転のチャンスを作るが、墨谷の冷静な守備に阻まれる。

その後も疲れの見える高野に5番イガラシが一発を浴びせて追加点を奪い。墨谷が3-1で接戦を制した。接戦ではあったが、名門校相手に優るとも劣らぬ実力を発揮し、作戦面でも狙い通りのゲーム運びを遂行した、墨谷の著しい成長を感じさせた試合であった。

【5回戦 墨谷10-0三山(8回コールド)】

<バッテリー> 

井口(6)、片瀬(1)、谷口(1)―倉橋

先発の井口が6回をヒット1本に抑える圧巻のピッチング、出場が危ぶまれていた1年生サイドスローの片瀬も故障の影響を感じさせない好投を見せ、最後はエース谷口が締める完封リレー。打線も序盤から得点を重ね、コールド勝利で早くも昨夏の成績に並んだ。

【準々決勝 墨谷14-7明善】

<バッテリー> 

墨谷:松川(3 0/3)、井口(2)、谷口(4)―倉橋

明善:天野(0 1/3)、黒木(2/3)、天野(2 0/3)、黒木(1/3)、天野(2)、黒木(1 2/3)―小室

秋準優勝の明善には、昨年の大会でも準々決勝で0-8と大敗を喫しており、墨谷にとっては昨夏の雪辱戦ということになる。明善は突出した選手はいないが、足を使った攻撃に長け、隙がなく、相手をよく研究し分析する能力も高い。これまでにない苦しい試合となった。

初回、先発の松川が血マメを潰すアクシデントがたたって連打を浴び、墨谷は3点を失う。粘りのピッチングとバックの好守で何とか4回途中まで続投したものの、更に1点を奪われ降板。今大会初めて、攻め込まれての守りの継投となった墨高マウンドに立ったのは、意外にも本格左腕の井口。しかし緊急登板だったことも相まって、明善の強打の1年生捕手・墨谷二中出身の小室に3ランホームランを浴び、7-0と更に傷口を拡げてしまう。まだ中盤とはいえコールド点差。巻き返しは難しいかと思われたが、直後にその井口のタイムリー3ベースによる1点で息を吹き返す。井口はその後もランナーを背負うピッチングが続くが、明善のトリックプレーを冷静な内野陣が防ぎ、レフトの頭上を越すかと思われた飛球を途中出場の戸室が好捕するなど、バックが盛り立て失点は許さない。

6回からはエース谷口がリリーフ。圧巻のピッチングで流れを断ち切ると、その裏には疲れの見える明善のエース天野から4点を奪い猛追。7回にはイガラシの2ランで8-7とついに逆転、8回には打者一巡の猛攻を見せ、終わってみれば14ー7の大差となった。

後半の明善に油断があったわけではない。守っては持ち前の堅守に加えて墨谷打線のキーマン・イガラシにワンポイントリリーフで黒木を当てるなど、考え抜いた対策で臨み、攻撃面でも松川のアクシデントや井口の乱調など、試合の中で見えた相手の弱みを確実に突いていた。それによって大差をつけられ、反撃の目を摘まれながらもあきらめず、7点差を跳ね返すどころか倍返しした墨谷の底力が、明善の試合巧者ぶりを上回ったと言うべきだろう。

しかし何より恐るべきは、先発松川が序盤から打ち込まれたときの対応ではないだろうか。この試合に勝つことだけを考えれば、最も信頼度の高いエース谷口(あるいは準決勝決勝で見せたピッチングを鑑みればイガラシ)に即交代するのが安全だったはずだが、墨谷はその道を採らず松川を続投させ、更には井口に繋いだ。結果は7失点であるから成功したとは言い難いが、失点を取り返す打線の力を有していたことも事実だ。大会を勝ち進み頂点に立つために、どこまで危険を冒せるか。墨谷はその意識を明確に持ってこの試合に臨み、失敗を恐れぬ勇気ある判断で、準決勝・決勝への余力を残すことを選んだのである。

【準決勝 墨谷6-5谷原(延長16回)】

<バッテリー> 

墨谷:井口(4 0/3)、イガラシ(1)、片瀬(1 1/3)、谷口(9 2/3)、イガラシ(1)ー倉橋

谷原:村井(15 0/3)―佐々木

センバツベスト4、夏も東京大会の本命中の本命、谷原との一戦。墨谷は4月の練習試合で谷原に大敗を喫し、甲子園との距離を肌で感じた。その距離を埋め、谷原を倒すために取り組んできた成果が試される試合であった。

 

序盤、墨谷の先発井口は谷原の強力打線の前に早くも2点を失うが、墨高バッテリーは打者のわずかな所作のクセを見抜き、狙い球を外すことに成功する。

一方、谷原のエース村井は決勝を睨んで得意の内角の速球を避けて変化球主体のピッチングで臨んできていた。ならば球数を投げさせようという粘りも谷原バッテリーに翻弄され、ランナーを出すこともままならない。

膠着状態となった前半が過ぎ、試合が再び動いたのは5回。墨谷の作戦に気づき、狙い球を絞らないミート打法に切り替えた谷原は、3番大野のソロホームランで3点目をあげる。勢いづき、更に攻め立てる谷原。ここで墨谷は先発の井口が負傷退場。イガラシがマウンドを引き継ぐ。今大会ここまでの登板わずか打者ひとりという1年生は、多彩な変化球を駆使した巧みなピッチングでピンチを切り抜け、後半へと望みを繋ぐ。

6回にはやはり1年生のサイドスロー片瀬が登板。一見、奇をてらった継投に見えるが、谷原打線との相性を考慮しての起用であり、片瀬も好投で期待に応える。

その裏にはカーブの制球が甘くなった村井から3番4番の連打が生まれ、5番島田の今度はシュートを捉えたタイムリーで2-3と1点差に詰め寄る。

しかし墨谷は7回に片瀬がつかまり、エース谷口に継投するも、痛恨のタイムリーエラーで2点を失い、再び3点差。しかも直後の7回裏には一打同点のチャンスを迎えるも無得点に抑えられる。それでも墨谷の気力が衰えることはなかった。

そして迎えた9回裏、2アウトランナーなし。

土俵際まで追い詰められた墨谷だったが、バッターボックスのイガラシは冷静だった。村井のベストボール、渾身の内角ストレートをものの見事に弾き返し、レフトフェンス直撃の2塁打。絶対の自信を持っていたボールを打たれた村井に動揺が走り、ヒットと死球で2死ながら満塁。4番を迎えたバッテリーはあえて内角ストレートを選び、決め球を狙っていた谷口が左中間への3点タイムリー2ベースを放ち、ついに墨谷は同点に追いつく。

試合は延長に入り、両エースの投げ合いでスコアボードに0が並んだ。

しかし13回表、4番佐々木の打球がマウンドの谷口の足首を直撃。その場は切り抜けたものの16回途中で無念の降板、再登板したイガラシがピンチを切り抜ける。

そしてついにその裏、15回を1人で投げ抜いてきた村井から9番久保がソロホームランを放ち、延長16回の死闘に終止符を打った。シード入りしたばかりのチームが、春に同じ相手に大敗したチームが、センバツベスト4のチームに堂々と挑み、勝利したのである。

【決勝 墨谷2-2東都実業(延長13回降雨コールド引き分け)】

<バッテリー> 

墨谷:松川(4)、イガラシ(9)―倉橋

東実:倉田(3 0/3)、佐野(10)―村野

墨谷と東実のこれまでの対戦成績は1勝1敗。一昨年の夏、エース中尾を擁して優勝候補と謳われた東実は無名の墨谷と3回戦で戦い、勝利したものの思わぬ苦戦を強いられた。そして昨秋はブロック予選決勝で対戦し1-0で敗れている。東実にとっては、甲子園を賭けた決勝ということを抜きにしても、負けられない試合であった。

東実は、相手を研究し尽くす墨谷の戦法を逆手に取ろうとスタメンを大幅に入れ替えてきた。一方の墨谷は激戦による負傷や体調不良者が相次ぎ、こちらもスタメン入れ替え、あるいは不調をおしての出場となった。更には雨も降り出し、不穏な雰囲気の中で決勝プレイボールが宣告される。

 

マメがつぶれる負傷もあり、万全でない先発の松川に対し東実は徹底した揺さぶりをかけて疲労を誘う戦法をとり、これが奏功して3回裏にはスクイズで1点を先取する。しかし墨谷も東実の先発倉田の投球フォームのわずかなクセを見抜いて攻略に成功、すぐさま同点に追いつく。東実も決断はやくエース佐野をマウンドに送り、佐野はピシャリと後続を断つ。更には直後の4回裏には自らレフトスタンドに叩き込むソロホームランで再びリードを奪う。

東実に、佐野に大きく傾いた流れを取り戻すべく、墨谷は5回裏からリリーフにイガラシを投入。イガラシも圧巻の投球を見せ、試合はリリーフ投手二人の投げ合いの様相を呈する。

そして9回表。

ノーアウトのランナーを3塁に置き、バッターボックスには1番イガラシ。試合前半イガラシを敬遠し続けていた東実だったがこのピンチでは勝負を選択。それが裏目に出て、ストレートを捉えたイガラシの打球はライトスタンドに飛び込む逆転2ラン…と誰もが確信したそのとき、ホーム方向への突風がボールを押し戻し、ライトに回っていた倉田が掴んで直接バックホーム。スタンドインを確信していた3塁ランナーはタッチアップの帰塁がわずかに遅れ、倉田の好返球も相まってホームタッチアウトとなる。

2アウトランナーなし。万事休すかと思われたこの場面でバッターボックスには、昨年9月に墨谷に編入してきた丸井。

「そりゃもちろん、決まってるじゃないですか」以前取材で編入の理由を尋ねたとき、即座に答えが返ってきた。「もう一度谷口さんと野球をやって、そしていっしょに甲子園に行くんです」一度入試に滑ったくらいじゃ、あきらめやしませんって――

あきらめるな。

ベンチからの谷口の声援を背に、丸井は苦手の内角高めをためらいなく振り抜く。打球はレフトフェンスを越え、起死回生の同点ホームランとなった。

延長に入った試合は双方譲らぬまま、13回終了の時点で降雨コールドによる引き分けとなり、決着は再試合に持ち越された。

【決勝再試合 墨谷4―0東都実業】

<バッテリー> 

墨谷:イガラシ(9)―倉橋

東実:佐野(6 0/3)、倉田(3)―村野

前日とは一転して快晴となった再試合。墨谷は体調不良だったメンバーが復帰、東実も通常に近いスタメンに戻してきた。共に連投となるが東実は佐野、墨谷はイガラシ、昨日圧巻の投球を見せた両投手が先発。両チーム総力をあげての戦いとなった。

しかし三連投となる佐野の疲労は回を重ねるにつれじわじわと現れてくる。イガラシも連投ではあるが、準決勝までの登板はほとんどなく、疲労の蓄積度合いが違う。そして、打線の対応力は墨谷の方が一枚上であった。

ついに7回表、力尽きた佐野に4番谷口、5番イガラシが連続ホームランを浴びせ2点を先取、代わった倉田からも9回に2点を奪う。東実も死球と守備のミスでチャンスをつくるが、好投のイガラシからついに1本のヒットを打つこともかなわずゲームセット。

墨谷が2日間にわたる死闘を制し、甲子園への切符をつかんだ。

 

3連戦しかも2試合は延長という過酷な日程、故障者体調不良者続出というアクシデント、そして老練な名門校があえて選んだ奇策。墨谷はその全てをはね返し、東京の高校野球の頂点に立ったのである。これまで培ってきた体力、技術、知略、そして折れない心によって――

 

2 墨谷、躍進の秘密に迫る

初戦敗退の常連だった墨谷が頭角を現し始めたのは2年前、現主将の谷口タカオの入部からである。谷口1年夏には3回戦で強豪・東都実業と死闘を演じ、下級生キャプテンとして迎えた昨夏の東京大会ではベスト8と順調に力をつけてきた。

しかし野球にかぎらず、急速に伸びてきたチームが、シード入りした辺りでなかなかその先に進めず足踏みするケースはよく見られる。上に行けば行くほど相手も強くなるわけなので、むしろそれが普通なのだが、墨谷は「普通」に留まらず、一気に全国へと駆け上がった。それを可能にした要因は何か。春に大敗した谷原という具体的な目標に照準を合わせたチーム強化、都内でもトップクラスの新戦力の加入、綿密な情報分析に加えて試合中の観察眼の鋭さなどについては本紙でも既に報じたところであるので、ここでは技術戦術よりもう少し大きな観点から、3つのポイントをあげておきたい。

 

(1)週2回の河川敷グラウンド

昨夏までの野球部は、サッカー部など他の運動部と共用で、校庭をグラウンドとして利用しており、練習場所の狭さが悩みのタネとなっていた。

これに対して手を差し伸べてくれたのが野球部のOBたち。昨夏のベスト8進出を機に若手OBが有志でOB会を立ち上げ、荒川河川敷のグラウンドの借上げを申し出てくれたのだ。

「そうは言っても、われわれ若輩者の力不足で、たった週2回ですから――」OB会長の本田さんは謙そんするが、広いグラウンドを使えるようになったことでバッティング練習を伸び伸びやれるようになったのはもちろん、守備・走塁でも実際に外野深く飛んだケースでどう判断し、どう動くかという練習を積むことができるようになった。「週2回と決まっているからこそ、河川敷の日は広いグラウンドでなければできないことに、学校グラウンドの日は基礎的な練習や技術の精度を磨くことに、それぞれ集中できました」と谷口主将は語る。この成果は、レギュラーの半数が抜けて部員10名となってしまった秋に早速発揮され、秋季都大会ベスト8、夏のシード権獲得に繋がった。前年秋までは秋季大会に参加することすらできなかった墨谷だが、夏秋と連続で上位進出したことで新鋭としての評価が固まり、都内でもトップクラスの有望新入生が集まる一因となった。また4月以降、新入部員の戦力化を進めるに当たっても、実戦に近い練習が可能な河川敷グラウンドが大いに役立ったという。

物理的・資金的な制約は高校生には如何ともしがたい。若いOBたちが「ささやかな」と謙そんする支援は、野球部にとって(洒落ではないが)”ダイヤモンド以上の“プレゼントであった。

(2)3つの練習試合

2年前まで初戦敗退続き、監督がおらず指導者を通じたツテなどもない墨谷には、練習試合の機会は多くなかった。しかし4月以降立て続けに経験した全国上位レベルのチーム3校との練習試合が、墨谷を大きく変えることとなった。

①谷原高校戦(4月XX日)

新学期に入って間もない4月半ば、墨谷はセンバツ帰りの谷原から練習試合の申込みを受ける。チームの方針により例外もあるが、まだチームが固まっていない夏の大会終了直後やシーズンオフを控えた秋の大会終了後は別として、同地区で甲子園を狙う強豪同士が練習試合をすることは少ない。この時点の墨谷はまだ、谷原にとって強力なライバルというより数あるダークホース的存在の一つに過ぎなかった。成長著しい新鋭チームに有望な1年生が多数入部したと聞いて、どんなチームか確かめておこうと考えた、というのが本当のところだったようだ。実際この試合では、墨谷は試合中盤に控え投手から大量点を奪ったものの、途中から登場したレギュラー陣には攻守ともにまったく歯が立たず、5-19の大差で敗れてしまう。

昨夏昨秋ベスト8と好成績をあげ、さらには都内でもトップクラスの有望な新入生を得て、いささかの自信をもって臨んだ墨谷にとっては青天の霹靂だった。

「ここまで差があるんだ、というのは、正直言ってショックでした」谷口は率直な言葉で振り返る。「あのときは、自分たちの力がどこまで通用するかということばかり考えすぎていました。そして、通用しないんだとわかったとき、そのショックで、じゃあその上でどう対処するのか?ということを考える余裕もなくなっていたんです」

しかし完膚なきまでの敗北は、まだ漠然としていた目標を、谷原に追いつき追い越すという具体的なものに変えた。谷原との差が、すなわち甲子園との差なのだ。チーム構成の見直しも迅速に行われ、野手専任予定だったイガラシが投手に復帰。1週間後の練習試合のマウンドにはもう、その姿があった。

②箕輪高校戦(4月XX日)

谷原戦から半月ほど経った4月の末、墨谷は関東遠征中の箕輪高校と練習試合をする機会を得た。箕輪は昨春のセンバツで初出場初優勝、今年も春センバツ出場を果たした和歌山の強豪。なお今夏も和歌山県大会を制し、甲子園出場が決定している。

墨谷との練習試合は、箕輪のスケジュールに空きができたため、急遽決まったものだ。「ただ漫然とぶつかって谷原戦の二の舞にならないよう、限られた時間の中で情報をあつめ、どう対処していくか、そして誰に何を経験させるかも考えました」谷口は言う。谷口がケガで出場できないのは痛手だったが、下級生投手たちに全国レベルの打線を経験させる好機でもあった。打ち込まれるのは覚悟の上、いざというときには潔く降参する、と最悪のケースも想定して腹を括った試合は、序盤こそ打ち込まれ一気に4点を失ったものの、その後を受けてリリーフした1年生投手井口・イガラシが良くしのぎ、打線も徐々に反撃。8回途中、雷雨のため中止となった時点でスコアは5-5であった。センバツ初優勝、そして今夏の県大会優勝に貢献したエース東がこの時点ではまだ故障が癒えておらず不出場だったとはいえ、大健闘と言える。

しかし墨谷が自信を取り戻したのは、スコアだけによるものではない。「攻守ともにきびしい場面が多かったですけど、その中で相手の狙いは何なのか、それに対して自分たちはどうするのか。考えて実行することができていたと思います」、「谷口がケガで出れない試合なんて初めてでしたが、そのぶんみんな、自分たちがやらなきゃって気持ちになってましたね」

主将の谷口、副主将で正捕手の倉橋が語るように、この試合は、谷原戦で受けた衝撃を消化し更なる成長を遂げる一助となった。また、公立高であり甲子園出場も昨春が初めてという箕輪は、チームカラーに墨谷と似通った部分もあり、そんなチームが甲子園で谷原に優るとも劣らぬ成績をあげているという事実も、大きな励みとなった。

➂西将学園戦(6月X日)

今春のセンバツ優勝校・西将学園とは6月初旬、東京都高野連主催の招待試合で対戦した。非公式戦とはいえ、神宮球場で内野スタンドをビッシリ埋める観客の見守る中での百戦錬磨の関西の強豪私学との一戦は、谷原戦以降の取組みの手応えを知ると同時に、より広い世界における自分たちの立ち位置を意識するきっかけとなる試合でもあった。

井口、松川、谷口の投手リレーは西将の強力打線を相手に6失点にとどめた。4回までを無失点に抑えた井口の力投、8回9回を巧みなピッチングで切り抜けた谷口もさることながら、箕輪戦では不本意なピッチングだった松川が、ノーアウト満塁の大ピンチの場面で登板し、勇気あるピッチングで大量点を防いだことは、チームが急速に成長しつつあることを象徴するものだった。

打線は先発した二番手投手の宮西、リリーフしたエース竹田と正捕手・高山のバッテリーを打ち崩すまではいかなかったが、4回裏には宮西から井口が、そして9回裏には竹田から谷口が、それぞれ2ランを放ち4得点をあげた。小兵とみなされがちな墨谷が長打力を秘めていることを窺わせる。しかも村井、佐野という東京大会の二大左腕に照準を合わせた打撃練習を開始してからわずか1週間。甲子園はもやは遠い夢ではなくなっていた。

 

谷原戦での大敗により、しっかりと自らを見つめ直した後、墨谷は谷原と同等以上の力を持つ関西の強豪2校と対戦し健闘を見せた。スコアや内容が選手個人やチームとしての自信となったことは言うまでもない。しかしそれだけでなく、谷原とはタイプの違う他県の強豪と渡り合うことで、より広い世界を知り、谷原をも冷静に、俯瞰的に眺める視座を得たことが、準決勝・決勝、そしてこれから始まる甲子園と、未知の領域を戦っていく力となったことだろう。

練習試合とはもちろん、実戦の中で技術や戦術を試し、磨く場であるが、それだけではいささか勿体ない。試合とは、他チームのプレー、戦術、野球への取り組み方考え方、大げさに言えば異なる野球文化にじかに触れることができる場だ。公式戦ではその体験は勝ち進んだ者にしか与えられないが、練習試合にその制約はない。運や縁に左右されはするが、チャンスはずっと身近なものになる。招待試合の狙いのひとつは、まさにそれなのだ。その意味で、東京都高野連の初の試みは確実に実を結んだと言えよう。

(3)5人の投手

墨谷の部員数は21名。シード校としては小世帯の部類に入るが、今大会では投手5名を起用している。具体的に、各投手の投球回数を見てみよう。

谷口:19回(3回戦、4回戦、5回戦、準々決勝、準決勝)
松川:13回(3回戦、4回戦、準々決勝、決勝)
井口:15回(3回戦、5回戦、準々決勝、準決勝)
イガラシ:20回(4回戦、準決勝、決勝、決勝再試合)
片瀬:2回(5回戦、準決勝)

こうして並べてみると、上級生の谷口と松川、本格左腕の井口の3人を軸として、野手兼任の1年生イガラシは決勝に向けて温存しつつここぞという場面を切り抜ける切り札に、そして故障が癒えて間もない変則右腕の片瀬は無理を避け、短いイニングを強打の谷原にぶつけて幻惑させ、最大の効果を狙う――そんなプランが鮮明に浮かび上がってくる。
「村井君や佐野君のように、準決勝決勝で連投できるような凄い投手は、僕らの中にはまだ、いませんから」エースで主将の谷口はそう説明する。「準決勝・決勝での登板は連投にならないよう基本的には分業制にして、継投は状況に応じてイガラシと僕で対応するつもりでした。それと、春頃に故障や不調が相次いだことがあったので、離脱者が出ても他の者がカバーできるように序盤から負担のバランスを取って」後ろの方になるとなかなか思い通りにいかなくて、結局最後はイガラシに負担をかけてしまいました、と指揮官は後輩の偉業に口元をほころばせつつ、しきりに反省するが、松川や谷口の負傷、準決勝延長16回、決勝も延長再試合と大会後半に不測の事態が続出したことを考えれば、よくぞここまで巧みに舵取りをしたものだと唸らされる。
もちろん、全国でも上位レベルのサウスポーである村井や佐野を中心に据えた谷原や東実の投手起用が間違っていたわけではない。強豪相手の継投は常に危険を伴う。実際、墨谷には綱渡りのような危うい場面がたびたびあった。しかし準決勝決勝の連戦の中での延長16回、13回、さらには再試合という誰も予想しえなかった事態(それもまた墨谷の攻守における実力と粘りがもたらしたものだが)においては、総力で挑んだ墨谷に分があった。
危うい場面がたびたびあったと述べたが、プレッシャーの少ない場面でイニングを消化するだけだった投手はおらず、登板回数の多い少ないはあっても、全員がそれぞれ大事な場面を任されていたことも注目に値する。
危険を伴うローテーションを決定した谷口の決断力、5人の投手を引っ張った正捕手倉橋の手腕には特筆すべきものがある。
そしてもうひとつ見逃せないのは、各投手そして後ろを守る野手たちが、決勝までのプランを(それが状況に応じて変わりうるものであることも含めて)共有し、その中における自分の役割を理解し全うしようとした、その意識だ。
イガラシは谷原戦直後から投手陣の情況を察知し自分から投手復帰を申し出たし、出場を危ぶまれていた片瀬はサイドスロー投手として、独自の強みを持って復帰した。
準々決勝で初回から打ち込まれた松川は、交代を勧めるチームメイトの反対を押し切って続投を願った。4回に松川が4点目を失いついに降板となったとき、このような場合のリリーフに想定されていたイガラシを押しとどめたのは井口だったという。いずれも投手の意地とか自分が投げたいとかいう単純な理由からではなかった。準決勝、決勝での投手陣のピッチングに響かないように、という戦略的観点からの主張だったのだ。7失点という結果、あるいは優勝したという結果をもってその主張の当否を断ずることはできないが、そういった各人の主体性、戦略理解が、舵を取る指揮官を助け、墨谷を優勝に導いたことは、疑いを容れないところであろう。

おわりに

以上、墨谷高校の優勝までの軌跡と、快挙を生んだ要因の一端を見てきた。語るべきことはこれに留まらないが、これだけでも東京大会優勝は墨谷高校の実力に相応しい結果であり、その実力は野球への情熱と深い見識に裏打ちされた、努力の賜物に他ならないと結論するには十分だろう。墨谷高校が甲子園でもその力をいかんなく発揮し大活躍することを期待して、小稿の締めくくりとさせていただきたい。(南条ゆきみ)

 

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(おことわり)

本記事は、南風の記憶(id:stand16)さんの『プレイボール』(原作:ちばあきお)の二次創作『続・プレイボール』における墨谷高校の東京大会優勝&甲子園出場を記念して掲載するものです。自分が優勝の余韻にひたりたくて書いたものですが、一緒にひたっていただける方がいらしたら幸いです。なお、『続・プレイボール』並びに原作『プレイボール』の作中の出来事に沿って記載したつもりではありますが、記事(とオマケ)の中の誤り、あるいは筆者の評価や意見として述べている内容については、すべて私に責任があります。誤りや不備不足等がありましたらご指摘ください。

掲載を許可してくださった南風の記憶さん、ありがとうございました!

(注)この記事は、2022.2.4に『葦は、楽しく』に掲載したのと同じものです。