褒めると打たれる…法則!?

先々週の『ダイヤのA actⅡ』(第125話「ふし穴クソコーチャー」/週刊少年マガジン26号)。

夏大メンバー決定を間近に控えた6月1日。強豪・西邦高校(エース明石は現中日の藤嶋君似w)との練習試合。

捕手は期待の、とはいえまだ入部2カ月の1年生奥村、バックも控えメンバーという不利な条件下で、沢村が相手打線を中盤まで0点に抑える好投を続ける。それを見ていた青道ファンのギャラリーが、「すげぇ投げ合い」「この試合を成立させてるのは間違いなく沢村だよな」などと(珍しく真っ当に)褒める。ところが、直後に甘い球が行ってしまって余裕の2ベースを浴び、「褒めると打たれるの法則」「俺のせいじゃねーよ」などと言い合う場面がありました。

これはまさに「あるある」ってヤツで、他にも試合見ていて「今日は四球少ないな」「○○君、守備上手くなった、エラーしなくなったよね」なんて思ったり言い合ったりしてると、あらら…なんてことは、誰しも経験あるのではないでしょうか。

まあ、沢村が打たれたのはちゃんと理由もあることだったし、俺のせいじゃない、と焦る観客にちょっとクスッとしただけでそこは読み飛ばしてしまったのですが…

昨日のこと。

心理学のテキストを読んでいたら、気になる記述にぶつかりました。

「平均への回帰」(2つの測定値の片方が極端な値を取った場合、もう片方はより平均的な値に近づく)という統計的な現象があって、例えば中間テストで予想を上回る良い成績を取った生徒は、実力が変わらなくても期末ではより平均的な成績に落ち、逆に中間で極端に悪ければ、期末ではより平均的な成績に浮上する、のだそうです。平たく言えば、まぐれは続かない、ってことでしょうか。

だけど、こういうパフォーマンスの変化を不用意に「褒めて伸ばすか、叱って育てるか」の判断材料にしてしまうと、誤った結論を導いてしまうことになる。

つまり、褒めるられるような高いパフォーマンスの後はパフォーマンスが下がる可能性が高く、叱られるような低いパフォーマンスの後は逆になるために、あたかも褒めた→成績下がった、叱った→成績上がった、であるかのように因果関係を誤認して「褒めるのは逆効果、叱った方が向上させられる」と思い込んでしまうのだ。実際は褒めた叱ったの結果ではなく、統計的な必然に過ぎないかもしれないのに…

実際の勉強や部活指導の現場はもちろん、単純な褒める叱るの二択ではないだろうし、教える側教えられる側のコミュニケーションが必ず介在するのでそれが大きな影響を与えるのでしょうが、観客ががその場で褒めるのは、少なくともその試合の中で本人に影響を与えることはまずないから、「褒めたら打たれた」は統計的にありがちなだけで、青道ギャラリーA氏の「俺のせいじゃねーよ」はまさに仰るとおり!なわけで。

私もそういう場面では心置きなく褒めて喜ぼう!と思ったのでした。